HISTORY ヒストリー 池田市の歴史

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歴史が紡いだ豊かさと、
未来への展望が美しく、
心地よく織りなす街、池田市。

古代〜

由緒ある古墳や古式ゆかしき神社が
幾つも点在し、往時の気風を今に伝える。

池田市では最もふるい古墳である
「池田茶臼山古墳」。

全長62m、竪穴式石室の長さ6.4mで池田市では最もふるい古墳。地元の中高生たちが協力した6年間におよぶ発掘調査で、周りは円筒埴輪が20cm間隔で一列に配置されていたことなどが分かりました。多数の出土品は歴史民俗資料館に保存されています。

池田茶臼山古墳(徒歩7分/約520m)
池田茶臼山古墳(徒歩7分/約520m)

中国・呉国から来た織女たちを祀る
「呉服神社(くれはじんじゃ)」。

日本書紀にある呉服(クレハトリ)・穴織(アヤハトリ)伝説を受け継ぐ神社。応神天皇の時代、呉服、穴織という姉妹がこの地に住みつき、養蚕・糸紡ぎ・染色・織りなどの技術を伝えたとされています。「呉服神社」には呉服(クレハトリ)が祀られています。

呉服神社(徒歩12分/約950m)
呉服神社(徒歩12分/約950m)

「呉服神社」とともに伝説を受け継ぐ
「伊居太神社(いけだじんじゃ)」。

池田市に現存する最古の神社。「呉服神社」とともに呉服・穴織伝承を受け継ぎ、「伊居太神社」には穴織(アヤハトリ)が祀られています。本殿は織田信長によって焼かれましたが、1604年に豊臣秀頼によって再建され格調高い寄棟造りとなっています。

伊居太神社(徒歩14分/約1,100m)
伊居太神社(徒歩14分/約1,100m)
池田茶臼山古墳(徒歩7分/約520m) 呉服神社(徒歩12分/約950m) 伊居太神社(徒歩14分/約1,100m)

中世〜

歴史を彩る城や街道、この地ならではの
名物など豊かな文化が醸成された街。

かつて池田の地を支配していた
豪族の居城「池田城」。

室町時代から戦国時代にかけて、池田市域一帯などを支配していた地方豪族・池田氏の居城であった「池田城」。その跡地は2000年4月に「池田城跡公園」として整備されました。園内のやぐら風展望休憩舎からは、池田市街地や阪神高速道路の新猪名川大橋(通称ビッグハープ)が一望できます。

池田城跡公園(徒歩9分/約710m)
池田城跡公園(徒歩9分/約710m)

江戸時代に丹波と大阪を結んだ
「能勢街道」。

この街道沿いは早くから拓けて人々が暮らした場所が多く、朝廷や武家の崇敬を集めた「服部天神宮」「原田神社」「多田神社」などが鎮座。この道を通って銀・銅、丹波の農産物や木材、池田の酒や炭などが大阪に運ばれるなど、江戸時代後半の最盛期には参詣道として賑わいました。

能勢街道(栄本町)
能勢街道(栄本町)

府の無形民俗文化財にも指定された
伝統ある「がんがら火祭り」。

毎年8月24日に行われる伝統的な火祭り。池田市のシンボルである五月山に、京都の送り火の如く「大一文字」「大文字」が灯され、重さ100kg、長さ4mの大松明が2本1組で繰り出し、火の粉を散らしながら市内を練り歩きます。

※出典/池田市HPより
※出典/池田市HPより

江戸時代より商業の中心として繁栄し
時代を超えた今も愛される池田の地酒
「呉春(ごしゅん)」。

現在の池田市にある酒蔵は「呉春」と「緑一」の2軒のみ。しかし、江戸中期の最盛期には38軒の酒蔵が並び、猪名川の水を仕込み水にして醸したスッキリした味わいの池田酒は”辛口”と評されて人気を博しました。「呉春」はその後も幾多の時代を超え今も多くの人に愛されています。

池田・伊丹の酒造の様子(『摂津名所図会』)※出典/池田市歴史文化基本構想より
池田・伊丹の酒造の様子(『摂津名所図会』)
※出典/池田市歴史文化基本構想より
呉春(徒歩9分/約700m)
呉春(徒歩9分/約700m)
池田城跡公園(徒歩9分/約710m) 能勢街道(栄本町) ※出典/池田市HPより 池田・伊丹の酒造の様子(『摂津名所図会』)※出典/池田市歴史文化基本構想より 呉春(徒歩9分/約700m)

近代〜

一人の天才起業家の才覚と尽力によって
近代以降に発展した良好な住宅地。

池田市室町に電鉄会社による日本初の郊外分譲
住宅「室町住宅」を開発した阪急阪神東宝グループ
の創業者、小林一三氏。

阪急阪神東宝グループの創業者・小林一三(いちぞう)氏は、鉄道の経営を基軸に数々の事業を興し、池田市室町に電鉄会社による日本初の郊外分譲住宅「室町住宅」を開発。そして、沿線開発として始めたまちづくりは「宝塚歌劇」の創設や「阪急百貨店」の開業などと合わせて私鉄経営のビジネスモデルになりました。「乗客は電車が創造する」という経営理念のもとに繰り広げられたユニークな集客作戦や、伝説にもなっている一夜の高架逆転工事、駅ビルの大規模移動など、度肝を抜く逸話の数々も。また一三氏は、元テニスプレーヤーとして有名な松岡修造氏の曽祖父であることも知られています。

小林一三

新たな教育機関や公共機関が整備されて
市民生活が大きく進化した
明治〜大正〜昭和時代の池田界隈。

1872年、明治初頭の学制公布から始まった近代教育制度の確立。1873年には「豊島郡第一区第一番小学校(現市立池田小学校)」が創設されました。この時代には他にも様々な制度の元、新しい公共機関などの施設も設けられ、1874年には「警察出張所(現池田警察署)」も配置されています。また、大正から昭和にかけての「能勢街道」は参詣道としてはもちろん、農産物や物産品、銀銅や炭・酒などが池田・能勢方面から大阪に運ばれ大いに賑わいました。昭和になると国道やバイパスも整備され、1987年には阪急「池田」駅の高架化と駅周辺の再開発も完了し、池田の新しいイメージを作りあげました。※出典/池田市歴史文化基本構想より

大正末頃の能勢街(建石町から本町を望む)
大正末頃の能勢街(建石町から本町を望む)
旧池田警察署
旧池田警察署
国道176号(昭和36年頃)
国道176号(昭和36年頃)
阪急宝塚線下りの高架運行(昭和58年)
阪急宝塚線下りの高架運行(昭和58年)

交通の要衝から大阪市郊外のベッドタウンへ。
北摂の自然に囲まれた住み心地の良さと、
沿線ならでは都市機能が進化。

図1の空撮は1948年、昭和23年頃の「池田」駅周辺の空撮。1910年に「室町住宅」の分譲が開始されたとはいえ、まだ畑や緑が多く、現地の東には「上池田」という地名の由来になった「辻ヶ池」も見られます。「消防署」が開庁し、中学校や高等学校が次々と建てられ、「猪名川花火大会」が始まった頃です。図2の空撮は2020年9月に撮影したもので、交通・公共・医療・教育・商業・歴史・文化が集積された住み心地の良い都市としての住環境が整備されています。

図1
図1
図2
図2
小林一三 大正末頃の能勢街(建石町から本町を望む) 旧池田警察署 国道176号(昭和36年頃) 阪急宝塚線下りの高架運行(昭和58年) 航空写真
  • ※掲載の航空写真は2020年9月撮影したものに一部CG加工を施しています。
  • ※徒歩分数は80mを1分として算出しています。
  • ※掲載の環境写真は2020年7月・10月に撮影したものです。
  • REVIEW 街の声
  • OUTLINE 物件概要